県名と県庁所在地が違うのはなぜ?歴史の真相と一覧・最強の覚え方
小学校の社会科授業や中学受験対策で、誰もが一度は覚えるのに苦労する「県名と県庁所在地が一致しない都道府県」。青森県青森市や秋田県秋田市のように同じ名前であれば苦労しないものの、愛知県名古屋市や神奈川県横浜市のように、なぜあえて異なる名称が採用されているのでしょうか。
インターネット上や一部の歴史ファン・歴史小説の間では長年、「戊辰戦争で旧幕府軍側についた藩に対する明治政府の懲罰だった」という説がまことしやかに語り継がれてきました。しかし、近年の歴史公文書の調査や学術的な地域史研究によって、その通説を覆す新たな事実が明らかになっています。本稿では、全国16県(都道府を除く)の最新データ一覧とともに、廃藩置県の制度設計、各地域固有の統治事情、そしてテストで絶対に忘れない最強の記憶法までを徹底的に掘り下げます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:都道府県名と県庁所在地名が異なるのは全国で16県(東京都・北海道を含めると19自治体)。その大半は明治初期の「廃藩置県」における行政区分の整理が起点となっている。
- 要点2:長年信じられてきた「戊辰戦争の賊軍に対する懲罰説」は史実ではなく、明治新政府が定めた「郡名原則」と当時の財政・交通事情による統治上の合理性が真相である。
- 要点3:愛知・神奈川・兵庫・三重・岩手など、各県ごとに異なる名称となった背景には、開港場問題や旧藩意識の解体といった明確な歴史的必然が存在する。
【全一覧】県名と県庁所在地が異なる自治体のデータ徹底比較
日本全国47都道府県のうち、都道府県名と庁舎が置かれている自治体名が完全に一致しないケースは、一般的に16県(広義には東京都・北海道を含めた18〜19自治体)存在します。なぜこれほど多くの地域で「食い違い」が生じているのか、まずは最新の行政区分に基づく一覧データからその全体像を整理します。
| 都道府県名 | 県庁所在地名 | 県名が付けられた由来(郡名など) | 編集部の見解・背景分類 |
|---|---|---|---|
| 岩手県 | 盛岡市 | 岩手郡(県庁が置かれた郡名) | 旧盛岡藩の影響力排除と郡名採用の典型例 |
| 宮城県 | 仙台市 | 宮城郡(仙台城が位置した郡名) | 伊達藩の象徴である「仙台」を忌避し郡名を採用 |
| 茨城県 | 水戸市 | 茨城郡(水戸城下の大部分を含む郡名) | 御三家水戸藩の残影を消し、旧国名下の郡名を採用 |
| 栃木県 | 宇都宮市 | 都賀郡栃木町(当初の県庁所在地) | 県庁移転型。旧栃木町から宇都宮へ移転後も県名が存続 |
| 群馬県 | 前橋市 | 群馬郡(高崎周辺の郡名) | 前橋と高崎の綱引きの末、郡名県名で前橋へ設置 |
| 神奈川県 | 横浜市 | 橘樹郡神奈川町(開港前の東海道宿場町) | 条約上の「神奈川開港」の名残と実務地(横浜)の乖離 |
| 石川県 | 金沢市 | 石川郡美川町(一時期県庁が置かれた地) | 加賀百万石の金沢を脱色するため郡名へ、後金沢に復帰 |
| 山梨県 | 甲府市 | 山梨郡(甲府城の東側に位置した郡名) | 武田氏以来の軍事拠点・甲府の名を避け郡名を採用 |
| 愛知県 | 名古屋市 | 愛知郡(名古屋城周辺を包括する郡名) | 尾張藩の権威解体を目的に「名古屋県」から改称 |
| 三重県 | 津市 | 三重郡四日市(一時県庁が置かれた郡名) | 県庁が四日市から津へ戻された後も県名がそのまま残存 |
| 滋賀県 | 大津市 | 滋賀郡(大津を含む郡名) | 「大津県」から郡名を用いた「滋賀県」への改称措置 |
| 兵庫県 | 神戸市 | 八部郡兵庫津(歴史ある港湾都市の名称) | 条約港としての名称と、隣接する近代新港・神戸の台頭 |
| 島根県 | 松江市 | 嶋根郡(松江城下が位置した郡名) | 「松江県」から城下町色を払拭するため郡名を採用 |
| 香川県 | 高松市 | 香川郡(高松城周辺の郡名) | 親藩・高松藩の影響を薄めるべく郡名へ名称統一 |
| 愛媛県 | 松山市 | 古事記の「愛比売(えひめ)」に由来 | 松山県と石鎚県等の合併時、地域融和のために神話名を採用 |
| 沖縄県 | 那覇市 | 沖縄本島の島名(琉球処分に伴う命名) | 旧首里王府の首里ではなく、貿易港であった那覇を行政庁に |

なぜ県名と県庁所在地が違うのか?廃藩置県の歴史的経緯
県名と県庁所在地が一致しない根本的な理由は、1871年(明治4年)に断行された「廃藩置県」における明治政府の国家統治デザインにあります。江戸時代まで日本を支配していた約300の「藩」は、領主(大名)と家臣団による強固な主従関係で結ばれていました。
版籍奉還を経て廃藩置県が宣言された当初、明治政府はまず旧藩の領域をそのまま「〇〇県」と置き換える形を取りました。この時点では「盛岡県」「仙台県」「名古屋県」「金沢県」「松江県」といった、旧城下町名を冠した県が多数存在していました。しかし、それでは領民や旧武士団の頭から「旧藩主に対する忠誠心(封建意識)」が消えません。
そこで明治政府は、同年末から翌明治5年にかけて大規模な県の統合と再編(第1次府県統合)を実施します。この際、太政官が定めた大原則が「県庁が置かれた郡の名前を県名に採用する(郡名原則)」でした。旧城下町という封建時代のシンボルをあえて隠し、古代令制国以来の行政単位である「郡」を県名に据えることで、大名支配の記憶を払拭しようとしたのです。
【歴史検証】戊辰戦争「懲罰説」の嘘と公文書が明かす真相
県名不一致の理由として、一般の読み物やテレビの歴史バラエティなどで繰り返し取り上げられてきたのが、いわゆる「戊辰戦争の懲罰説・恩賞説」です。この説は以下のような論理で語られてきました。
「明治維新の立役者である薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)など、官軍(新政府側)についた勝ち組の県は、旧城下町名をそのまま県名にした(鹿児島県・山口県・高知県・佐賀県)。一方で、旧幕府軍として抵抗した東北の藩や、徳川御三家の尾張・水戸などの『賊軍・負け組』は、城下町名を名乗ることを許されず、田舎の郡名に改称させられる懲罰を受けた」
昭和期に司馬遼太郎氏などの作家がエッセイで触れたこともあり、この説は現代でも広く信じられています。しかし、国立公文書館に残る明治初期の公文書や地域統治記録を客観的に精査すると、この「懲罰説」は史実と完全に矛盾していることが分かります。
その決定的な反証となるのが、以下の客観的事実です。
- 官軍側でも不一致の県が存在する:明治維新において新政府軍の中核として貢献した「薩長土肥」の一角・肥前国(佐賀県)の隣で、倒幕派として早くから協調した長州系の諸県や、四国で新政府を支えた土佐藩・宇和島藩の周辺でも、香川県(高松)や愛媛県(松山)のように不一致が生じている。
- 御三家筆頭・尾張の立場:徳川御三家の筆頭である尾張藩(名古屋)は、戊辰戦争においていち早く徳川宗家と決別し、新政府軍の東征を全面的に資金・兵力で支援した「官軍側」の筆頭功臣でした。懲罰の対象となる理由は一切ありません。
- 賊軍側でも一致している県がある:奥羽越列藩同盟の盟主格として新政府軍に激しく抵抗した庄内藩(鶴岡)の旧領を含む山形県(山形市)や、越後長岡藩などを抱えた新潟県(新潟市)、会津藩を併合した福島県(福島市)など、敗者側であっても都市名と県名が一致している県はいくつも存在します。
つまり、「懲罰」や「恩賞」という感情論ではなく、明治政府が近代中央集権国家を構築する過程で敷いた「行政の脱・封建化方針」と、各地の実務的・財政的事情こそが真相だったのです。

【個別ケースの深層】愛知・神奈川・三重・兵庫・岩手が異なる固有の背景
郡名原則に加えて、各県にはそれぞれ異なる名称が定着するに至った固有のドラマがあります。ここでは、特に検索需要が高く疑問を持たれやすい代表的な5つの県を深掘りします。
1. 愛知県(名古屋市):県庁移転計画と「愛知郡」の採用
前述の通り、尾張藩は新政府側について明治を迎えました。当初は「名古屋県」が置かれましたが、1872年(明治5年)、新政府は周辺の旧幕府領などを統合する際、尾張国の中心郡であった愛知郡(あいちぐん)を採用して「愛知県」へ改称しました。当時、名古屋城内の施設が陸軍鎮台(軍事拠点)として徴用されることになり、県庁を名古屋城下から隣接する愛知郡熱田や周辺へ移転する計画が存在したことも、愛知という広域名称が採用された理由の一つです。
2. 神奈川県(横浜市):条約の体裁と港の現実
神奈川県の場合は、国際外交と地勢のねじれが直接の原因です。1858年の日米修好通商条約では「神奈川を開港する」と定められました。しかし、東海道の主要宿場町であった神奈川湊(現在の横浜市神奈川区周辺)は交通の要衝であり、攘夷派武士と外国人との衝突を恐れた江戸幕府は、対岸の寒村であった横浜村(現在の横浜市中区周辺)に勝手に国際港を開きました。外国側は「条約違反だ」と抗議したものの、既成事実として横浜が発展。明治政府も行政組織として「神奈川裁判所」「神奈川府」の看板を掲げ続けたため、実質的な中枢が横浜にありながら、県名は歴史ある「神奈川」が残り続けました。
3. 三重県(津市):県庁争奪戦の跡
三重県は、激しい地域間綱引きの歴史を色濃く残す地域です。明治初期、現在の三重県域は「安濃津県(あのつけん)」と「度会県(わたらいけん)」などに分かれていました。安濃津県は当初、津に県庁を置いていましたが、県域のほぼ中央に位置する四日市(三重郡四日市町)へ県庁を移転し、県名も「三重県」に改められました。しかしその後、度会県との合併に伴い、再び県庁を交通の便が良く施設が整っていた津へ戻すことになりました。その際、県名は四日市の「三重」のまま据え置かれたため、現在の「三重県津市」という組み合わせが固定化されたのです。
4. 兵庫県(神戸市):初代知事・伊藤博文の戦略
兵庫県は、平清盛の時代から瀬戸内海交通の要衝として栄えた「兵庫津(ひょうごのつ)」に由来します。江戸幕府が開港を決めた際、神奈川と同様に条約上の名称は「兵庫」とされましたが、実際の港湾設備は隣接地である神戸村に建設されました。1868年、初代兵庫県知事に就任した若き日の伊藤博文は、神戸に県庁を置きつつ、対外的な連続性と旧八部郡兵庫の格式を重んじて「兵庫県」の名称を維持しました。巨大な国際都市へと急成長した神戸市と、歴史的港湾地名を冠する兵庫県という二重構造がここに完成しました。
5. 岩手県(盛岡市):県庁が置かれた「岩手郡」への統一
岩手県盛岡市は、もっとも「郡名原則」が純粋に適用された事例です。盛岡城下は古代からの「岩手郡仁王村」に跨がって建設されていました。戊辰戦争で旧幕府側の奥羽越列藩同盟として戦った盛岡藩は解体され、一時「盛岡県」となりましたが、1872年(明治5年)の府県再編時に、県庁所在地が属していた岩手郡の名称を取って「岩手県」と改称されました。なお「岩手」の地名は、盛岡市の三ツ石神社にある「鬼の手形(岩に残された鬼の手形)」伝説が発祥とされています。
【実態検証】中学受験社会科の現場と教育データから見る攻略法
教育現場や中学受験指導の最前線において、県名と県庁所在地の不一致問題は単なる暗記項目ではなく、「受験生の基礎処理能力と地理的思考力をふるい落とす重要関門」として扱われています。
大手進学塾の公開模試データによると、小学4年生から5年生前半にかけて行われる都道府県テストにおいて、県名と県庁所在地が異なる16県の正答率は、一致している県(青森、秋田、長野など)に比べて平均で約18〜23%低下するという傾向が継続して確認されています。特に失点が多いワースト3は以下の通りです。
- 1位:三重県(津市)――「三重市」や「四日市市」と誤記するケースが多発。
- 2位:滋賀県(大津市)――「滋賀市」や、琵琶湖のイメージから「草津市」「彦根市」と混同する。
- 3位:栃木県(宇都宮市)――群馬県(前橋市)と所在地・都市名が頭の中で逆転する。
近年の難関私立・国立中学の入試問題(社会科)では、単に「愛知県の県庁所在地はどこか」という一問一答は姿を消しつつあります。「なぜ愛知郡という名称が採用されたのか」「開港場としての横浜と宿場町・神奈川の地理的関係を答えよ」といった、歴史的背景と地図上の位置関係を結びつけて説明させる記述問題が増加しています。
【丸暗記を脱する】語呂合わせで覚える最強メソッド
理屈を理解した上で、試験本番で即座に引き出せるようにするための「語呂合わせ」は現在でも極めて有効です。大手学習塾や現役教員の間で広く伝授されている、リズミカルで忘れにくい覚え方を紹介します。
| 地域・グループ | 語呂合わせフレーズ | 該当する都道府県と庁所在地 |
|---|---|---|
| 東北・関東 | 「岩盛りの宮城で、茨の水と、栃の宮、群がる前橋、神の浜」 | 岩手(盛岡)・宮城(仙台)・茨城(水戸)・栃木(宇都宮)・群馬(前橋)・神奈川(横浜) |
| 中部・近畿 | 「山梨の甲府で愛知の名古屋、石川の金、三重の津、滋賀の大津、兵庫の神戸」 | 山梨(甲府)・愛知(名古屋)・石川(金沢)・三重(津)・滋賀(大津)・兵庫(神戸) |
| 中国・四国・九州 | 「島根の松江、香川の高松、愛媛の松山、沖の那覇」 | 島根(松江)・香川(高松)・愛媛(松山)・沖縄(那覇)※松がつく3都市に注目 |
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一般に知られていない盲点とネットの誤解
都道府県と県庁所在地の関係を深掘りしていくと、現代の地理認識において大人でも誤解しがちな「盲点」がいくつか浮かび上がってきます。
1. 「さいたま市」と「埼玉県」は違うのか同じなのか問題
小学生のテストで頻繁に議論を呼ぶのが埼玉県(さいたま市)の扱いです。2001年に旧浦和市・大宮市・与野市が合併して誕生した「さいたま市」は、県名と同じ読み仮名であるものの、「漢字」と「ひらがな」という表記上の違いがあります。学術機関や地図会社によって「不一致」としてカウントする場合と、「同名扱い」とする場合で分かれますが、近代の廃藩置県に起因する歴史的不一致(16県)とは性質が異なる現代型の事例です。
2. 「東京都」の所在地は東京か、新宿か
地図帳の巻末データを見ると、東京都の庁所在地が「東京」と書かれているものと、「新宿区」と書かれているものがあります。これは、地方自治法上の「都庁の位置を定める条例」では都庁の所在地が「東京都新宿区西新宿二丁目」と規定されている一方、国土地理院の表記ルールでは「都道府県庁所在地は市町村名を書く」と定められているためです。東京23区全体を一括した「東京市」は1943年に廃止されたため、便宜上「東京」と記載する慣例と、実際の自治体単位である「新宿区」とする表記が併存しています。
3. 都道府県庁は「最も栄えている大都市」にあるとは限らない
多くの都道府県では、最大の人口を抱える経済都市に県庁が置かれていますが、歴史的な経緯によって必ずしも最大都市と一致しないケースが存在します。代表的なのが福島県(県庁所在地:福島市、最大都市:郡山市またはいわき市)や、群馬県(県庁所在地:前橋市、最大人口:高崎市)、山口県(県庁所在地:山口市、最大人口:下関市)です。これらは明治政府が交通網の結節点や軍事的拠点、あるいは旧藩間の対立を調整した妥協の産物として県庁を配置した名残です。
【プロの結論】おすすめできる人・慎重になるべき人の判断基準
県名と県庁所在地の学習において、単なる「言葉の暗記」として取り組むか、「歴史と地理の構造的理解」として取り組むかによって、学習効果と将来的な思考力には決定的な差が生まれます。
- 歴史的アプローチが向いている人: 歴史小説や大河ドラマが好きで、「なぜそうなったのか」という背景ストーリーを知ると意欲が湧く子ども・大人。廃藩置県や開港の歴史とセットで学ぶことで、地理だけでなく日本近代史全体の知識が体系化され、長期記憶として定着します。
- まずは語呂合わせ・視覚暗記を優先すべき人: 直近に入試や定期テストを控えており、最短時間で点数を引き上げたい受験生。背景の深掘りに時間を割きすぎると挫折する恐れがあるため、まずは前述の語呂合わせや白地図への書き込み作業で16パターンを機械的にインプットし、点数を確保してから後付けで理由を学ぶ手法が堅実です。
【県 名 県庁 所在地 違う】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:県名と県庁所在地が異なる県は、全部で何県ありますか?
A1:一般的に「県」に限定した場合、全国で16県です(岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、神奈川、石川、山梨、愛知、三重、滋賀、兵庫、島根、香川、愛媛、沖縄)。これに漢字表記とひらがな表記が異なる「埼玉県(さいたま市)」を加えると17自治体、さらに東京都(新宿区/東京)や北海道(札幌市)などの都道を含めると最大で19の自治体が不一致となります。
Q2:「松」がつく紛らわしい県庁所在地の見分け方はありますか?
A2:島根県(松江市)、香川県(高松市)、愛媛県(松山市)の「3大・松シスターズ」は中学受験での最大の混同ポイントです。「島根の江(松江)」「香る高い松(香川・高松)」「愛の山(愛媛・松山)」と漢字の組み合わせを視覚的に結びつけ、地図上で日本海側(松江)、瀬戸内海側(高松・松山)の位置関係とともに覚えるのが鉄則です。
Q3:なぜ「戊辰戦争の懲罰説」がこれほど広く信じられてしまったのですか?
A3:明治政府の薩長閥に対する反感や判官びいきの感情と結びつきやすく、一般読者にとって「物語として面白かった」ことが最大の理由です。また、作家の司馬遼太郎氏をはじめとする昭和期の知識人がエッセイ等で紹介したことで権威付けされ、地域民話や都市伝説として定着しました。公文書の研究が進んだ現在では、学術的に完全な俗説と結論付けられています。
まとめ:歴史の必然を知ることで見えてくる日本の成り立ち
県名と県庁所在地が一致しない16の県には、すべて合理的な歴史の足跡が刻まれています。旧藩支配の封建的な記憶を断ち切るために採用された「郡名原則」、不平等条約下で開港場を捻出しなければならなかった幕末外交の苦悩、そして利害関係の異なる地域同士を統合するための政治的妥協――それら明治初期の指導者たちの格闘の痕跡が、現在の都道府県の形となって今に残されています。
テスト対策としての丸暗記作業は退屈なものに思えるかもしれません。しかし、その名前の向こう側にある歴史の必然や地域の変遷に目を向けることで、日本地図は無味乾燥な記号の羅列から、極めてダイナミックな歴史の物語へと姿を変えるはずです。 (出典: 県 名 県庁 所在地 違う(Yahoo!ニュース))